ペリカン「スーベレーンM600」
こんにちは。
ミサイル“子供の歯は20本、大人の歯は32本なんだよ”クーパーです。
2007年の誕生日にずっと欲しかった万年筆を買ったんですよ。
ペリカンの「スーベレーンM600(緑縞)」。
この黒と緑のコントラストいいですね。
緑色は好きな色だけど、緑色のペンというのは特に好きなじゃなかったんですよ。でもこの緑はいい。控えめな色でありながら、それでいて緑色であることを程よく主張している。そんな緑色。
ストライプも特に好きじゃなかったんだけど、この緑縞はいい。
まるで細長い緑色の石を丹念に張り合わせたような、ちょっとばらつきのある透明感。「ストライプ」ではなく、日本語で「縞」と表現したくなる。
このスーベレーンシリーズには、M300、M400、M600、M800、M1000があって、僕のM600はちょうど真ん中に位置するモデル。それぞれ大きさや書き味が違う。その中で、僕の手に最もしっくり来る大きさで、最もしっくりくる「重心」を持ったモデルがこのM600だった。程よく万年筆の存在を感じながら書く。自分にとって心地よい「重心」があるものです。
実は書き味はM800がため息が出るほど素晴らしかったんだけど、高価なモデルなので、このM600の良さを余すところなく感じ尽くしたいつの日かM800を手にしたいと思っている。その頃の僕は白髪かもしれない。それもまたいいだろう。急がずゆっくりと一生かけて楽しむ。僕にとって万年筆の魅力はそんなところにもある。
とはいえこのM600の書き味も申し分ない。
プラチナ装飾14金ペン先。その特徴である「しなやかさ」を感じながら筆記することが出来る。インクフローもなめらかで、少し大きめの字で、ゆったりとした気持ちでいつまでも筆記を楽しんでいたくなる、そんな素晴らしいモデルなのです。
ペリカン=ドイツ製だってことは頭ではわかっているんだけど、何故かこの万年筆には日本の香りを感じる。日本の文豪たちが、日本語を大切に書き綴ってきた背景があるからなのだろうか。どこか漆器の佇まいに似てるからなのだろうか。肌身離さず持ち歩きたくなる愛着を感じる1本なのです。
そんな、ほっとくといつまでも語ってしまいそうな大好きな万年筆を
なくしました(涙)
2007年の9月頃だったかな。買って半年位たった頃。
忽然と僕の前から姿を消してしまったんですよ。
もう泣くほどショックだったね。
そのことを今まで1度もブログに書かなかったわけですが、
それというのも、あまりにショックすぎて
ブログにも書けねーの。
あまりに悲しすぎて書けないんですよ。
失くしてからもう1年半たつんですけど、あきらめきれずに事あるごとに家や会社を探す続けていたわけですけど、一向に見つからない。
かすかな期待を胸に必死で探す、僕のその寂しい後姿は、
山崎まさよしの曲に例えるなら
「ワンモアタイム、ワンモアチャンス」
ですよ。
さようなら、愛しかった君よ。
あれから1年半。僕はきっぱり心の整理がつきました。
最後にせめて、居なくなった僕の恋人の写真をもう1度見てやってください。
(撮影:2009年3月20日)
撮影:2009年3月20日。
下に置かれた手帳に輝く金の文字「2009」。
そして今日は2009年3月22日。
ってゆーか、
おかえりなさいスーベレーン。
いやーあれほど探したのに見つからなかったスーベレーンが、
見つかったんだよね。
それもこの1年半に、何度も見たはずの棚の裏側からひょっこり。
ああ愛しきスーベレーン。
そして愛すべき
「ひょっこり」という響き。
(類:にょっき)
僕はこころから言いましたよ。
「おかえりなさい、スーベレーン」と。
でも、おかえりなさいも何も、スーベレーンはずっと僕の家に居たわけですね。
久しぶりの再会に、嬉し涙を浮かべた僕の目を見つめながら
スーベレーンはこう思ったことでしょう。
どんだけ節穴なんだよ、その目。
いやー「灯台下暗し」とはこのことですね。
まあ僕んちは
灯台じゃねーけど。
(灯台の下で万年筆失くしたくないよね)
というわけで、僕のスーベレーン物語第2章。
これからもよろしくスーベレーン。
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